JR北海道問題を振り返る

最終更新から干支を一周してしまいました。


テーマは、JR北海道の経営問題です。
さて、何から書き始めましょうか。

だれもこの視点で書いている人がいないので、本当に久しぶりに書きます。

JR北海道は昭和61年4月、国鉄の分割民営化により発足し、560万道民の足として再出発をしました。
しかし北海道の人口密度の低さから、発足当初から赤字経営が見込まれたため、経営安定基金による補填、固定資産税の減免などの支援措置が設けられました。

その後、経営努力等が行われたものの、JR北海道は平成28年11月18日に「当社単独では維持することが困難な線区について」を発表しました。


ここからが本題です。


国鉄分割民営化の枠組みを編み出したのは、鈴木善幸内閣の第二次臨時行政調査会(昭和56年〜)です。会長は土光敏夫、委員に瀬島隆三がいます。第二臨調は昭和58年3月、次の中曽根康弘内閣に最終答申を提出します。そして昭和61年11月、第三次中曽根内閣のときに国鉄改革関連8法が成立し、翌昭和62年4月にJR北海道を含む旅客・貨物7社が発足しました。


この枠組みがたった30年で破綻?
経済の成熟による金利(経営安定基金の運用益)の低下を見通せなかった?
何か足りないですね。


今年1月の北海道新聞に掲載された、JR東日本の第2代社長、松田昌士(北海道北見市出身)のインタビューに、「鉄道は旅客だけではない」と発言したことがヒントになります。


旅客でなければ貨物?
稚内、網走、様似、根室から貨物?
違いますけど、近いのかもしれないですね。



ズバリ言います。
鉄道は、軍事施設です。



シベリア鉄道然り、南満州鉄道然り、鉄道は軍事物資を運ぶため、無くてはならない存在です。

時代背景を確認しましょう。

昭和56年は鈴木善幸首相、アメリカはレーガン大統領、ソ連ゴルバチョフ登場よりはるか前、ブレジネフ書記長です。米ソ冷戦の真っただ中です。
そして日本の陸軍、戦後の陸上自衛隊の仮想敵国は、日露戦争以来ずっとソ連です。北海道は戦後も一貫してソ連と対峙する最前線の地でした。
そんな時代、軍事施設としての鉄道網の存廃に、陸上幕僚監部が黙っていられますか。

ここで登場人物と主な経歴を再確認します。

  中曽根康弘:海軍主計少佐、第25代防衛庁長官、第71代〜73代内閣総理大臣
  後藤田正晴:陸軍主計大尉、中曽根内閣で官房長官
  瀬島隆三 :陸軍士官学校44期、陸軍中佐、伊藤忠商事会長

また、昭和58年から昭和61年当時の陸上幕僚長は、陸軍士官学校60期、61期出身です。

中曽根康弘の政治信条は、自主憲法制定、再軍備だったはずです。



以上を踏まえたうえで、ここからは私の想像の世界です。


当時は、自衛隊違憲論がはびこり、防衛庁(内局)の人間は信用できなかった。
そんな中、国鉄分割民営化後の鉄道網の維持について、国防上の懸念を陸幕から陸軍出身者の仲介を経て政権側に伝えられた。
陸上自衛隊は、鉄道工兵である第101建設隊を6年しか維持できなかった苦い経験がある。
この懸念に対し、政権側は経営安定基金による補填で維持可能とした。
そしてこれ以降、国鉄問題に対して陸幕が公に発言しないことを厳命する。


しかし、松田らのJR発足後の経営収支予測で金利の低下による下振れが予測された。

この予測に対し政権側は、将来の防衛費からの補填、鉄道連隊の復活を約束する。
これは、鉄道網が国防の重要な施設であるという認識を国民に訴えるという側面もある。

ここでネックとなったのは、昭和51年の三木内閣のときに閣議決定された、いわゆる防衛費の対GNP比1%枠である。
この上限がある限り、簡単には新たな支出先を加えることはできない。

自主憲法制定、再軍備はまだ時期尚早だが、この1%枠は中曽根政権の責任で取り払うことを決断する。

そしてJR発足と同じ昭和62年度予算、防衛費は対GNP比1.004%と象徴的な数字で決着し約束を果たした。


いや、想像の世界ですけど。


誰か引き継ぎを受けていないですか?


終わり。